水曜日, 2月 15, 2006

バレンタイン通り

ベイタウンの富士見通りがバレンタイン通りに改称される件で反対運動が起きているようである。地域に貢献した人の名前が公共物に冠されるのはアメリカでは当たり前のことで、ヒューストンの巨大な国際空港はジョージブッシュ国際空港だし、アトランタの巨大な空港はハーツフィールドジャクソン国際空港だし、ワシントンナショナル空港は数年前にロナルドレーガン空港に改名されたし、ニューヨークのラガーディア空港はごく当然のように受け止められている。私立大学は金儲けに必死だから、多額の寄付をした人の名前を建物の名前につけている。大学には「なんとかビルディング」という建物がたくさんあるが、そのほとんどすべては人名である。

通りの名前に人名が冠されるのはごく当たり前で、それは、アメリカの住所は通りの名前に番地がつく方式なので、すべての道に名前が付いていなければならない一方で、通りの名前に使えるような名前の数が限られているからである。だから、どこの町にもMain StreetとかWalnut StreetとかChestnut Streetなど同じような名前がはびこっている。さすがに大通りには当たり障りのない名前が選ばれていて、人名が冠されるのは細い路地みたいな、他に適当な名前が無いような場所のことが多い。

しかし日本の住所は地名に番地がつく方式なので、必ずしもすべての通りに名前をつける必要がない。そのため、通りに人名を冠するという習慣がない。さらに、日本人は他人が目立つとすぐに足を引っ張りたがるから、通りの名前に人名が冠されるのが気に食わないらしい。さらにややこしいのは、既に富士見通りという名前がついていた通りを改称するということであり、そうなると海からの水蒸気のせいで普段は富士山なんて全然見えないのに「ここは富士山の見える由緒ある通りである」などとさも愛着があるかのような言い方をする人が出てくる。多摩地区や神奈川県なら毎日富士山が見えるから富士山が見えることに愛着があるものだが、千葉県からは富士山なんてろくに見えやしない。これがもし名無しの細い路地にひっそりと命名されるのであればまた違ったことになっていただろう。それかマリンスタジアムの周辺のどこか無名の通りにバレンタイン通りという名前をつける分には問題ないはずである。

私は、積極的にバレンタイン通りという名称にしたいとは思わない反面、強硬に反対するほどのことでもないとも思う。「富士見通り(バレンタイン通り)」とかいった煮え切らないやり方よりはましかなと思う程度である。それに「スタインブレナー通り」とか「渡辺恒雄通り」とか「モナー通り」とかに比べればまだましである。あるいはマリンスタジアムを「ボビーバレンタインスタジアム」にするのは時期尚早かと思う(ネーミングライツが販売されてそれをボビーが買い取れば可能で、目立ちたがりのボビーならやりかねないが)。

それにしても、シーズン中はさんざん盛り上がっておきながら、いざ自分の利害に関わるとなると(実際には単に気分の問題でしかないのだが)、プライスレスな貢献をした人を尊重しようという気が無くなってしまうというところが何となく日本人らしい。

たしかに、ロッテの優勝に貢献したのはバレンタイン監督一人だけではなく、チーム全体の力があってのことである。しかし、何かあったときに責任を取るのがトップの仕事であり、成績が良ければその人の貢献になり、成績が悪ければその人が責任を取らされる。トップというのはそういうものであり、それと全員の貢献がどうこうということは本来別の問題である。そもそもチームプレイが円滑に機能していなければ結果を出せないし、いかにチームプレイを実現するかがトップの腕の見せ所でもある。したがって、良い結果を出したときに全員の貢献であることは当然だが、だからといってトップだけの貢献ではないという言い方をするのはおかし。もし勝つも負けるも全員の責任ということなら、チームが最下位になったら選手も職員も全員辞職しなければならないし、ファンも贖罪の日々を過ごさねばならない。しかしそんな馬鹿馬鹿しいことはしないで、トップの首を切るだけのことである。トップというのはそういうものである。舵取りの仕方次第でチームを優勝させることもできればどん底に突き落とすこともできる。だからこそそういう立場の人に対して高い給料を出して指揮してもらうのである。

手続き面での問題ということなら、仕切り直して賛否を問えばよい。たしかに手続きは大切なので、不備があればやり直すべきだろう。とはいえ、自分からは何の貢献もしないくせに他人が何かしようとすると当然の権利であるかのごとく反対だけはするという人が多いだろうから、たぶん反対されると思うが。ついでだから、他の通り含めて全部仕切り直して、すべての通りを住民の意思に基づいた名前にすればよいだろう。富士山の見えない富士見通りなど詐欺だということで富士見通りという名称の撤廃を求める住民も実は意外と多いかもしれない。日本の住居表示のもとでは通りに名前は不要だから、名無しであって困ることはない。

あと、気をつけてほしいのは、何かもめ事があると、地域に関係ない人間(大抵は左翼政党やプロ市民である)が乗り込んできて地域住民を扇動してそこから利益を得ようとする。そのために組織的な運動が行われたりすることがよくある。例えば彼らの見解が地域住民の総意であるかのように工作することなど、彼らにとってはマニュアル通りのルーティンワークである。結局それで損をするのは地域住民である。くれぐれも気をつけてほしい。既存の政治勢力の影響下にない新興住宅地のベイタウンはその手の好ましくない勢力から常に狙われているという自覚が必要である。

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